手元に一枚の写真が残っている。
それは懐かしいフィルムカメラから現像した写真で、20年近く前に静岡市内のイベント会場で開催された輸入車展示会で小学生だった私が撮った写真だった。どうやらそのとき気に入ったらしい2台の車が写っていた。その展示会のことはぼんやりと覚えているが、写真を撮ったことなどすっかりと忘れていた。
————この写真が私の人生に突如として再登場したのは今から約10年前、19歳のときのことだった。
免許を取ってすぐのことだ。私は手軽で小洒落たヨーロッパ車を探していた。しかし何を血迷ったか当時世田谷のラテン車専門店のウェブサイトに出ていた白いマセラティ クーペにすっかり一目惚れしてしまった。すぐさま店に電話し、落ち着かない足取りで東京へ向かった。衝撃的だった。なんて美しい…それにフェラーリ製のエンジンとは!
どれほど維持の大変さを聞いても、私にはもうこれ以外の車を買うという選択肢は考えられなくなった。しかしなぜか、結局震える手でサインしたのは隣にあったビアンコ・エルドラドのマセラティ スパイダーだった。
帰りの足取りは重かった。母子家庭で育った私には、この大変な車をオリエントの歴史のように長いローンで契約してしまったことについて母に報告する任務があった。
経営者として仕事をしながら子育てをしてきた母は、私を叱る代わりに「マセラティの似合うかっこいい人間になりなさい!」と激励してくれた。それから一枚の古い写真を持ってきた。それはあの輸入車展示会の写真だった。写っていたのは赤いF430と、それからビアンコ・エルドラドのマセラティ スパイダーだった。なんのことはない、私は小学生のときにもこの車に憧れていたのである。
それから約10年が経ったが、私は常にこのシリーズの虜だった。マセラティ クーペ カンビオコルサと6MTのクーペGTを2台持ちしていた時期もあった。しかしそれらの車を愛せば愛すほど4200シリーズの完成形、究極形というものを渇望するようになってきた。最終モデルで一体何が改良されたのか?一体どう違うのか?毎日そんなことばかりを考える始末だった。
私はそんな中、ある事情で愛車のマセラティクーペを胸が締め付けられる思いの中で手放した。その2日後だ。馴染みの店…もっと言えば19歳のとき最初にスパイダーを買った店から連絡があった。
「MC Victoryが入ります」
信じられるだろうか。契約書にサインするまでに数日も掛からなかったのは、ご想像の通りである。
マセラティ クーペ & グランスポーツの時代
本題に入る前に、このユニークなモデル…いわゆる4200系の時代について少し振り返るとしよう。
2000年代は面白い時代だった。瞬く間に技術が進歩して、1年で時代遅れになるものもあれば、5年分時代を進めるものもあった。(などと偉そうに言う私はMC Victoryの初年度登録がされた2007年には14歳の青白い中学生だったが、目に映る全てが新鮮に思えた。)私はプレイステーション2の8MBのメモリーカードのセーブデータを、涙を流しながら整理したときのことを覚えている。だがそれから数年後には、8000倍の容量を持つ64GBのiPodで音楽を聴いていた。
車も同じだ。様々な試みが実施されては1年〜2年で廃止され、見直され、発展した。マセラティクーペはそんな時代を象徴するような一台だった。
ビトルボ時代の最終幕を飾った3200GTのボディにフェラーリ製のエンジンを無理やり詰め込み、まだ本家フェラーリでも完璧からは程遠かったF1マチックを搭載した。電子制御のサスペンションや、様々な情報を液晶モニターに映し出すInfo Centreを押し込んだ。
当時としては成功だっただろうか? それは当時を知る先輩たちに、いつか聞いてみたいところだ。少なくとも現代から見れば、マセラティクーペは最も愛嬌のあるFRスポーツカーの一つだ。
小さなボディに暴力的な吹け上がりのエンジン、EURO3時代の荒々しいサウンド、そしてノスタルジックな内装……。一度運転すれば、いまだに愛情を持ってマセラティクーペを維持するオーナーの気持ちが痛いほどわかるはずだ。
そして長くクーペオーナーだった私に、たかだか2〜3年しか年式の違わないグランスポーツ MC Victoryが納車された日、私はただちに一つのことを理解した。
これは全く別の車だ。
未完成の高揚感か、完成形の満足感か
そもそもクーペ(特に後期)とグランスポーツの違いは乗らなければ曖昧だ。カンビオコルサのハードウェアでさえ同じだし、一般的にはエアロパーツやインテリアの違いが全てだと思われている。
しかし実際に乗ると、乗り味の全てが嘘のように異なる。クーペは全体的に柔らかく、グランドツアラーとしての正確が強い。一方ミッションは荒々しくダイナミックで、エグゾーストは(多少改良すると)クロスプレーンとは思えないほど澄んだ音が出る。そのミスマッチと不完全さが、クーペに素晴らしい高揚感をもたらしている。
マセラティクーペを運転しているときは、まるでわんぱくな子供が遊んでいるのを見ているような気持ちだ。突拍子のなさ、無邪気さ、スリリングな瞬間と緊張感、全てが愛おしくてつい笑顔になってしまう。
それに比べればグランスポーツは聡明な青年だ。同じ車とは思えないほどぐっと引き締まった足回りやFRスポーツカーらしい素直な挙動はフェラーリ カリフォルニアを彷彿とさせる。リニアなタッチのアクセルをうっかり踏み過ぎれば、相当改良されたMSPが素早く反応してくれる。
ミッションのフィーリングは同時代のフェラーリ F430に肉薄している。シングルクラッチの乗り味を知らない人に念のため説明しておくと、今だ! と叫ぶと助手席でF1ドライバーのカルロス・サインツJrがシフトノブを操作してくれる感じだ。ちなみに前期クーペの助手席にはワインを一杯ひっかけたカルロス・サインツ父が乗っていた。
ブレーキング時の挙動も安定し、あの後輪が浮き上がって天国まで飛んでいきそうなスリリングさも息を顰めた。エギゾーストはクーペに比べるとかなりマイルドになったが、上品な金管楽器のユニゾンのように心地よい。シフトダウンに合わせたオートブリッピングの音は他のどの車にもない艶やかさだ。
グランスポーツには圧倒的な満足感がある。何キロ乗っても「もっと運転していたい」と思わせるような、心地よく飽きのこないフィーリングだ。それと同時にほんの僅かな寂しさがある。あのわんぱくで天真爛漫な子供が、兄であるフェラーリの背中を見ながらすっかり優秀に育ってしまった、というふうに感じるのかもしれない。
ではクーペとグランスポーツどちらが良いのだろう? きっと答えは人それぞれだ。
Maserati Gransport MC Victory
プルーストの小説のように長い前置きにうんざりしてしまった読者のために、そろそろ本題に入ろう。マセラティは5代目クアトロポルテを大ヒットさせた。このKEN OKUYAMA デザインの美しいセダンはイタリアの歴史的なブランドの存在を改めて世に知らしめた。ただちにこの派生モデルが開発された。この後2019年に至るまで製造され続ける大ヒット作、グラントゥーリズモだ。
その陰でモダンマセラティの道を切り開いたクーペ&グランスポーツが、ひっそりと現役から引退しようとしていた。マセラティがMC Victoryを発表したのは、まさにその頃だった。2005年のFIA GT選手権マニュファクチャラーズカップでのマセラティ MC12が優勝記念に作られたこのモデルは、世界限定180台。日本への正規割り当てはわずか10台という限定車だ。
この車にはいくつかの特徴がある。中でも印象的なのがブルーヴィクトリーというMC12と共通の限定カラーリング、そしてブルーを織り込んだカーボンのパーツだ。
もともとマセラティクーペは気品あるグランドツアラーの趣だった。それこそ3500GTに通じるような佇まいの良さに何度ため息をついたことだろう。それに比べMC Victoryのスポイラーは、スピードに取り憑かれた70年代のレーシングカーのようだ。グランスポーツ共通のサイドシルスポイラーやトランクスポイラーもその方向性を感じさせる。
MC12譲りのバケットシートもまた、マセラティらしからぬスパルタンな表情だ。それもそのはず、これはエンツォ・フェラーリともアルファロメオ8Cともシェルを共有しているシートなのである。インテリアもまた青一色という思い切った配色である。ネイビーのアルカンターラを基調にしたダッシュボードは、ワインメイクレース車両のトロフェオを彷彿とさせる。クーペが往年のマセラティらしさを感じさせる大人のグランドツアラーならば、MC Victoryはマセラティ・コルセ(レース部門)の雰囲気を全面に押し出したスポーツカーという印象だ。
実際に運転した感じはほとんど、グランスポーツと変わらない。しかし二点だけ大きく異なる部分がある。バケットシートによる着座位置の低さと、ハンドリングだ。
着座位置が低く、ランバーサポートが迫り出しているおかげで、フィーリングは完全にスポーツカーである。そしてハンドリングだ。実はグランスポーツとMC Victoryではステアリングラックが異なるのである。先ほども書いた通りグランスポーツのハンドリングは素晴らしいのだが、MC Victoryは更にクイックなハンドリングだ。オーバースピードでコーナーに飛び込んでも狙ったラインの10cm内側をカットするようなシャープさである。ただしグランドツアラーとしては幾分使いにくいし、ここまでクイックなハンドリングを求める人は一部である。
ちなみにMC Victoryはカムシャフト、コンロッド、バルブ、クランクシャフトもアップデートされている。これはMC Victory専用品というより、最後の1〜2年間に製造されたグランスポーツ(エンジンナンバーが107297番以降の個体)がそうであるらしい。それによる性能やフィーリングの違いについては乗り比べたことがないため不明である。
色々なことを語ってみたが、私はこの車を世界で一番気に入っている。長距離旅行で乗っているフェラーリ612スカリエッティも、毎日の買い物や仕事での送迎にも使っているクアトロポルテも、私は数え切れないほどの思い出を経て心から愛するようになった。しかしこのMC Victoryには納車されたその日から心酔している。
それもそのはずである。19歳のときにこのモデルに惚れ、ついにその究極形に辿り着いたのだから。私にとっては成熟したMC Victoryを運転することが、まるで自分自身の成長のように感じられたのかもしれない。
A Minute Longer
20世紀初頭から熱狂的に続いてきた車という物の純粋な成長は、2010年代に一旦終わりを迎えた。現在の車はどちらかと言えば、社会的な成長が求められている段階だ。より環境的で、安全で、生活の一部として十分な役割を果たすことが必須になった。
私がそういう「新たな未来」に不安を抱いていないと言えば嘘だ。しかし、ときどき期待を膨らませることがある。あの美しいMC20…そうMC Victoryと同じマセラティ・コルセの名を冠したMC20からエンジンが降ろされ、強力なモーターが搭載されるのを楽しみにしている節すらある。MC20 Cieloの屋根を開放し、夕暮れにひぐらしの鳴き声を聴きながら山の中を駆け抜け、静寂に包まれながら高原の星空の下を走ったとき、私は「新たな未来」をついに受け入れられるような気がしているからだ。
————この10年で時代が目覚ましく移り変わったのと同じく、自分の人生も驚くほど変わった。マセラティ スパイダーのおかげでイタリア文化に傾倒した私は、21歳の時に母の会社から独立しイタリア関係のインポートの仕事を始めた。多い時では年に6回もイタリアと行き来するようになった。
2020年に母が亡くなった。まだ57歳だった。その直後に私は最愛のマセラティクーペをフルメンテナンスした。母が生きていた頃の全ての大切な思い出と共に、一生乗るつもりだった。しかし人間というのは不思議なものだ。綺麗に蘇ったクーペに乗れば乗るほど、手放さなければ人生が先に進まないような気がしてきていた。序盤に「ある事情によりクーペを手放した」と書いたが、まさにこれがその事情だった。
『過去に執着せず、常に前を見なさい』————経営者だった母は常にそう私に言い聞かせていた。思い出のクーペを手放したとき、私は「これでやっと先に進める」と妙な安堵を覚えた。しかしその二日後にこのMC Victoryが出てきた。結局私は4200シリーズに乗り続けることを選んだ。
母には申し訳ないが、私はずっと変わらない心を持っている。純粋で向こう見ずな心でマセラティ スパイダーを契約した19歳の私から、もっと言えば展示会で輝く新車のマセラティ スパイダーを写真に収めた小学生の私から変わらない心。V8エンジンの鼓動とサウンド、それに時代に取り残されつつあるハイオクとオイルの匂い、そういうものに思い焦がれて行く先もなくハンドルを握るような心だ。
だからもう少しだけ……いやもっと正確に言うなら「新たな未来」が世界に浸透しきるまで、許される限り1分でも長く。私はこの車と一緒にいるつもりである。
そして私は「19歳から何も変わってない!」と呆れられる度に言い訳がましく説明するだろう。MC Victoryは別の車だ。見た目からは分からないほど、中身は成長しているのだ。きっと私自身もそんな風に成長しているはずだ……と。